蔡依林(Jolin)が『玫瑰少年(バラの少年)』という曲で2019年5月に開催された金曲奨(台湾でのレコード大賞)で最優秀曲賞を受賞しました。玫瑰少年こと葉永鋕さんはなぜその命を落とすことになってしまったのか、学校での教育にどう影響を与えたのか、改めて調べてみました
それは中学校でのいじめから始まった
葉永鋕少年は昔からおままごとが好きで女性っぽいと周りから言われることが多かったようです。屏東県にある高樹中学校に入ってからは同級生からからかわれ、いじめられていました。ある日は「パンツを脱げ、男かどうか確かめてやる」と脱がせようとしたことがあったそうです。そんなこともあったため、休み時間にトイレに行くことができず、授業が始まってから女子トイレに駆け込むようにしていたそうです。
2000年4月20日、4時限目の音楽授業中いつものようにトイレに行き、授業が終わっても戻ってこないため、トイレに調べに行くと血まみれで倒れていたところを発見され、間もなく死亡が確認されました。
直接な死因としては、重度な気管支肺炎と気を失ったことによる頭蓋骨折だそうです。以前にも何度か家のトイレで気を失ったことがあったとのことで、トイレに行きたくなると失神するほどの極度の緊張状態になっていたようです。学校で何度もからかわれているうちに、トイレに行くこと自体が苦痛となっていた可能性があります。
彼の死は何を意味するのか
2000年10月に教育関係から「反性別暴力」運動が起こり、陳俊志氏(自身がゲイであることを公表し、同性愛者に関する作品を残した映画監督。心筋梗塞により51歳で死亡)から葉永鋕少年の記録映画撮影が企画されました。2004年には「性別平等教育法」が制定されました。それから約15年経って蔡依林(Jolin)が五月天とのコラボで『玫瑰少年』を発表し、金曲奨で受賞した際に壇上でこう言っています。
「葉永鋕は私に気付かせてくれたんです。我々は何らかの状況では少数者になり得るのだから、相手の気持ちに寄り添って周囲の人を愛しましょう。この曲は彼に捧げます」
まだ終わったわけではない
2004年6月性別平等教育法が制定され、2019年5月に同性婚が始まり性の多様性に関して“進んでいる”ように見ますが、制度で人の心は簡単に変えられません。「葉永鋕事件」という悲惨な事件が世に出ることがなければ、こんなにも早く世の中が動かなかった可能性があります。本来はこのような最悪な事態が起こってしまってからではなく、起こってしまう前に行動すべきです。まだまだ平等な性教育について、日本も取り組むべき課題があるはずです。