台湾に行くならこれだけは知っておきたい歴史

気軽に行ける海外旅行先として人気のある台湾。観光地を訪れても歴史を知らないために、あまり深く興味を持つことはありません。せめてこれだけは知っておいたほうがいい台湾の歴史をご紹介します。

台湾は大航海時代の波に飲み込まれていた

フィリピン系の原住民族の島にやってきたのはポルトガルで、その時に「フォルモサ(美しい島)」と称賛したことから台湾は「美麗島」とも呼ばれています。続いてオランダスペインが植民地獲得のために奪い合いを始めました。オランダ統治は37年ほど続き、その名残は台南の安平で見ることができます。

大陸からの勢力

明の鄭成功が立ち上がりますが、清がやってきて領土を奪っていきます。清による統治は日清戦争(1894~1895年)まで続きます。現在の福建省にあたる南部の人々がたくさん入ってきたために、その地方の方言が台湾語のベースになりました。

日本が統治する時代

日本は始め弾圧で台湾を治めようとしていました。その結果1万4千人以上の人がなくなったと言われています。力では解決できなかったために柔和対策に転換しました。それがインフラの整備や教育の徹底です。当時の東京と同じくらいの文明を台湾に築こうとしていました。この歴史が親日と反日を生むことになったと言われています。

八田與一(はったよいち)

広大な嘉南平野(かなんへいや)を田畑に変えて豊かにするため、烏山頭ダムの建築を指揮した日本人が八田與一です。日本政府からの予算削減や、工事中の事故を乗り越え、当時アジア最大のダムを完成させた功績が称えられ、住民によって八田の銅像が建てられました。
八田與一は映画「KANO」に登場しています。

霧社事件

現在の南投県仁愛郷にて、セデック族の一人が日本の巡査を結婚式の宴に招こうとしたところ、不潔を理由に殴られたため、巡査を殴打し返したことから始まり争いが過激化しました。女性や子供も含めて和装の人が襲われ、100人以上が殺され、首を刈り取られていたそうです。それに抵抗するように日本軍は武器を使い、700人ほどが自殺・死亡しました。普段から日本人が野蛮な原住民と見下していたこと、原住民は日本の統治に不満があったことが原因とされています。
この歴史は後程「セデック・バレ」という映画で描かれています。

中国国民党が統治する時代

1945年日本が戦争に負けて台湾から撤退することになりました。その後蒋介石率いる国民党が台湾に逃れ、統治を始めます。

二・二八事件

国民党の弾圧による統治が続き、1947年2月28日に闇たばこを売っていた女性に暴行を加えた取締の役人に周囲の人が抵抗したことが始まり、一気にその不満が爆発することになりました。中華民国側は機関銃を無差別に発砲し、大勢の市民が犠牲になりました。抗議デモを鎮めるために、関係ある人物だけではなく、疑わしい人物までも処刑したと言われています。
1989年に公開された映画「悲情城市」は九份を舞台にして二・二八事件が描かれ、世界に知られることになりました。

白色テロ

二・二八事件後の1949年から1987年まで厳戒令が続き、中華民国に対して批判的な人物や何の関係もない知識人を投獄し、3千~4千人ほどの人が処刑されたとのことです。今のように台湾が民主化されたのは1992年李登輝総統による刑法改正以降と言われています。
2017年に発売された「返校」は、まさにこの時代を描いたホラーゲームです。

現在の親日とは…

今の若い世代は戦争どころか政府に対して自由に発言できなかった時代さえ知らず、父親母親や祖父祖母の世代からその歴史を聞かされて育っています。歴史ではなく今の日本の文化を見て、日本にあこがれ、日本人に対して興味を持ってくれているのであって、日本が台湾を便利にしたという歴史を理由に親日であるわけではありません。その歴史に対して否定的な台湾人もいるということを知ったうえで、台湾に興味を持つことができればより良い友好関係を築けると考えています。